保護者会「まつしま会会報」第17号(2006年12月25日発行,講演記)

『進化するCT画像から肺音への回帰』

川崎医科大学 内科学(呼吸器)
教授  岡 三喜男


 日本最古の木製聴診器は,私の母校,長崎大学医学部の図書館に保存されている。このラエンネック型聴診器は1848年,日本へ牛痘(種痘)をもたらした出島商館医オットー・モーニッケ(独)がヨーロッパから長崎へ持参したものである。以来,種痘が約半年の間に全国津々浦々へ普及したと同時に,呼吸器疾患の診断に間接聴診法が徐々に浸透し始めた。それまで肺音や心音を含む体音(私の造語)の聴診は,検者の耳を患部に直接あてた直接聴診法が行われていた。間接聴診法を確立したフランスの臨床病理学者であるルネ・テオフィール・ラエンネックはある日,街で子供達が板の片端に傷をつけて他方の端で音を聞く遊姿を見かけた。これを契機にラエンネックは心臓病患者の心音を糸で縛り膠を塗った紙筒で聴診し,よく聞こえることを体感した。これが真に間接聴診法の始まりである。その後,彼は木製の聴診器を開発しstethoscope(stethos:胸,scopos:見鏡)と命名,聴診した肺音を「内部の肺が私に話しかけるようだった,しかも全くの外国語で」と,表現した。彼の卓越した点は,「聴診所見と剖検所見を対比」し,「聴診技を科学へ進化」させたことにある。1819年,ラエンネックは遂に大著「L'Auscultation Mediate(間接聴診法)」を世に送りだし,この名著から30年後,長崎で我々は初めて木製聴診器(ヨーロッパのペルシャグルミ製)を手にしたのである。
 一方,1895年,ウィルヘルム・コンラッド・レントゲン(独)が偶然にもX線を発見し,翌年,彼の妻の手骨写真はScience誌に掲載された。以後,X線撮影は凄まじい勢いで世界へ広まり,今日の臨床医学へ貢献している。コンピューターが急速に進化する中,1971年,ハンスフィールド(英国)は多方向照射により人体のX線吸収値を測定し,コンピューター処理によって人体画像の再構成に成功した。ここに人類へ貢献する世紀のCT(computed tomography)が完成し,後に彼はノーベル医学賞を受賞したのである。1990年には,東芝によって現在主流となっているヘリカルCTが開発されるに至り,迅速撮影で人体解剖や病理組織へ迫るほどの撮像が可能となった。
 さて実地医療では,科学が進歩した今も聴診器は身近な診断機器であり,医療従事者の象徴と膾炙されている。しかし,コメデイカルを含め最も不得手な医療技術を問うと,「簡便なはずの肺音聴取」である。その訳は,肺音聴取には聴診器特性が強く影響しているため客観性に乏しい,聴診には熟練を要し単純な肺音分類では説明できない肺音が存在することである。そして何よりも決定的な理由は,「異常な肺音を来す病態の理解が欠けている」ことである。今さらラエンネックの大著「L'Auscultation Mediate(間接聴診法)」に,ただ感服するばかりである。
 これら肺音聴取の問題点を解決すべく,我々はコンピューター・サイエンスを駆使した「電子聴診器」の開発に着手した。我々の電子聴診器の特徴は,

1. ピエゾ素子を採用しているため優れた肺音特性を示す。 2. 肺音はリアルタイムに聴診でき,コンピューター画面に波形として描出される。 3. 呼吸相の判別とスペクトル解析で異常肺音を検出できる。 4. 肺音ソナグラム表示で異常肺音が瞬時に可視され,同時に記録される。 5. 肺音データのクラスター解析によって,肺音のコンピューターによる自動診断ができる。 6. 超小型発信器を内蔵し,遠隔地から肺音を送信できる。
 ラエンネックから約190年の時を経た現在,肺音と画像にコンピューター・サイエンスを駆使して「肺音聴診から病理組織へ迫る胸部CT画像へ」,「胸部CT画像から肺音への回帰」の科学的な解析が可能になった。我々の電子聴診器は将来,医学教育,実地医療,在宅医療に多大な貢献をすると確信している。



文献
1. 石原恒夫,監修:CDによる聴診トレーニング。南江堂,東京,2001
2. 日本医師会雑誌 第94巻,12号:2052,1985