病院広報 第138号(平成21年10月)
<提言>

「歴史に学ぶこれからの医政と医学」

川崎医科大学付属病院 院長補佐
岡 三喜男


 盛夏に再興された亀山社中を再訪しました。亀山社中は次の大河ドラマの主人公、坂本龍馬が興した日本最初の貿易商社で幕末から明治への大転換に貢献しました。250年続いた江戸幕府は1853年のペリー来航からわずか15年を経て、大政奉還により長期政権に終止符を打ちました。この度の政権交代を大政奉還に重ねる識者は多く、やはり歴史は回帰するようです。その言説には、士農工商による厳格な階級社会と幕末の格差社会に対する庶民の鬱積と反旗があります。しかし倒幕思想に西洋医学教育が影響した史実をみると、いま翻弄する医療行政(医政は造語)への鬱積が政権交代の原動力のひとつになったことも肯けます。つまり国民は大都市の中心に在っても、適切な医療を受けられない惨状があります。今年、われわれ医療人は「医学は国を動かす」ことを史実として再認識し、「医学は国を再興する」未来を展望する絶好の機会を得ました。
 日本での西洋医学は1858年、将軍徳川家定の大病を機に幕府によって公認され、1884年(明治十七年)明治政府は医師免許制度を施行し漢方医学から西洋医学への移行を完了しました。明治初期まで一般医は漢方医家に丁稚奉公し独立、当時は漢方医8割と洋方医2割であった。1857年に始まった西洋医学講義では、「とくに江戸から留学している学生達に、医師にとってはなんら階級の差別などないこと、貧富上下の差別はなく、ただ病人があるだけだということを納得させようとしたが、彼らは同意することはできなかった。」と洋人医師は記している。当時、幕府の医政は厳格な身分制度の下で国民と医師を階層化し、医療の機会均等を禁止していた。そこで洋人医師は幕府への直談判によって庶民への診療を承諾させ、西洋式病院建設によって実践的な医療平等主義の普及、そして階級制度崩壊への道を開き倒幕が成し遂げられました。これからも医療人は民意を反映しない誤った医政は正さなければなりません。
 最近の日本衰退をみると、「医学は日本の牽引車になる」との感を強くする。医療産業の育成は日本再興の鍵であり、医療人の果たす役割が重要になります。我々の眼前の使命は地域医療への貢献ですが、日本が亡国では空しいものとなります。現実、国内では外資系のホテル、保険、医薬品などの台頭が顕著になり、空のJapan Flagにも外資が参入しようとしています。過去、日本の成功に学べとLook East政策を掲げた国もありましたが、いまは失政を参考に改革を進めている近隣国があります。日本は資源のない貿易立国として成長してきましたが、将来もその方向は変わりません。しかし昨今の自動車産業の急激な浮沈をみる限り、製造業による長期の安定成長は望めません。
 一方、地球規模で安定供給が必要なのは食料と医療ですが、狭い日本の選択肢は医療です。日本再興のため医療技術や治療薬の開発など生命科学産業のさらなる発展が望まれ、必然的に優れた人材が求められます。国家繁栄には、「子は国家の宝、教育は国家の礎である。」ことを改めて銘記したいと思います。