長崎大学第二内科2004年報(第九号)
「教授就任のご挨拶と近況報告」

「講義に拍手を贈ってくれた医学生達」

川崎医科大学呼吸器内科
教授  岡 三喜男


 2004年4月1日,川崎医科大学内科学(呼吸器)教授として倉敷の地に着任しました。川崎医科大学開校当時から長崎大学第二内科とは感染症の分野で当教室と旧知の仲にあり,現在もその交流は続いています。先日,当教室の同門会で「昔から川崎医大呼吸器内科と長崎大学第二内科は兄弟みたいな関係で,先生に来ていただき安心しました」と言われ,私も安堵しました。この倉敷の地は26年前に新婚旅行で訪ねて以来,私にとって運命の再訪と再出発の地になりました。赴任して驚いたのは,片手で充分に数えられる教室員数でした。西日本でも最大級の教室で育った私には,自分が率いてきた研究グループにも満たない人員でした。しかし間もなくして,その驚きは感激に変わりました。この少人数でこれだけ多くの診療をこなしてきたことです。その活力はどこにあるのだろう。ただただ感服するばかりでした。
 2004年は,川崎祐宣先生(鹿児島県出身)生誕100周年の年にあたり,5月には学園と地域の人々のため立派な川崎祐宣記念講堂(1,500人収容)が落成しました。「講堂」の命名は医学教育に力を注がれた祐宣先生の強い意志を表すものでした。川崎医科大学創設者の川崎祐宣先生は65歳の時に,医の倫理の低下と医学教育の荒廃を憂い,真に患者さまのために尽くす良医育成を目的にこの学園を創設されました。その創設の理念は,「人間をつくる」,「体をつくる」,「医学をきわめる」,医師としての基本的な目標です。川崎医科大学,川崎医療福祉大学,川崎医療短期大学,川崎リハビリテーション学院には優に5,000人を越える学生が学んでいます。しかし未だ臨床医学教育では小さな欲からモラルは低下し,診療や使命である臨床医学教育を放棄する悲しい現実を赴任前みてきました。これから医師として教育者としての範を自ら示し,日々戒めるべき重要課題と考えています。
 川崎医科大学では良医を育てるため,入学間もない1年生に対し「医の原則(医学概論)」講義を設けています。先輩諸氏の講義の中から「良医とはなにか」,「良医になるには」,「医の原点とはなにか」を学び討論するものです。ある日,突然,新前の私にその講義依頼がまい込んできました。ずいぶん悩んだ末に,「長崎医学史から学ぶ,明日の医学」と題して講義することにしました。数年前から長崎を舞台にした西洋医学史に少し興味をもっていたからです。1857年11月12日,長崎の地でオランダ海軍軍医ポンペ・ファン・メーデルフォルトが日本で初めて系統だった西洋医学講義を開始し,瞬く間に日本全体に西洋医学が流布しました。このすさまじい西洋医学ドラマは,熱意溢れる多くの若き医師達なくして語れません。私の講義は,「ゲノム医学へ進む最新の医学」と「良医をめざし夢を追う長崎医学史の人々」を重ね合わせたものでした。講義を終えた瞬間!学生達は私に大きな拍手を贈ってくれました。学術講演以外,これまで経験したことのない驚きでした。後日,植木学長と福永副学長を交えて昼食をとった折,「先日,1年生は講義が終わって拍手をくれました。新入生は良く教育されていますね」と尋ねました。すると,「講義に拍手をするようには,指導しませんよ」とのことでした(瞬間,私の胸は熱くなりました)。あの時,学生達は私の講義に心から賞賛と感動の拍手を贈ってくれたのです。わが天命ここにあり,拍手を贈ってくれた医学生に応えること,改めて確信しました。
 倉敷にきて一年,呼吸器総合内科へ生まれ変わることを強く意識してきました。これまで当教室は感染症だけに特化した診療と研究体制をとってきましたが,大学病院と地域医療を担う立場からその重責を果たすためです。総合内科教室で離島医療と僻地医療を経験した私は,「広く医学を学ぶ」ことを強調しています。今後は,広い医学で「病院と大学に支えられ愛される教室」,そして最も重要な「地域を支え地域から愛される教室」に向かって邁進する覚悟です。いま,長崎で医学を学んだことを誇りに思っています。この川崎医科大学でも川崎祐宣先生の創設の理念とともに「長崎の医学,ポンペの心」を伝えてゆきたいと思います。
 最後に,私を臨床医へと育んでいただいた長崎大学内科学第二教室の先生方に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。