雑誌「呼吸」24巻4号 (2005年4月15日発行)

研究の周辺から
「がんの薬剤耐性とABCトランスポーター」

川崎医科大学呼吸器内科
岡 三喜男


 卒後1年間の大学病院での研修は,内分泌,循環器,放射線診断をローテートし,市中病院でさらに1年間を消化器と呼吸器を同時に研修することになった。当初は消化器内視鏡医を希望していたが,偶然「良医」にめぐり会い呼吸器内科医をめざすようになった。この良医を越えることが自分の臨床医としての目標だったように思えてならない。離島医療,僻地医療,一般内科を経験した10年後,大学で肺がんの臨床と研究に従事することになった。これは同時に後輩医師の研究指導を負うことを意味した。
 無力な肺がん化学療法を経験して,留学先に「がんの薬剤耐性」に取り組んでいる研究施設を選択した。幸い?にも米国国立癌研究所内科治療部門(主に乳がん)にたどり着いたが,細胞周期と癌遺伝子のプロジェクトに参画することになった。分子生物学に縁のなかった私は,しばらく苦痛の日々を過ごした。しかし,どうしても薬剤耐性の研究に未練があったなか,幸いにも1992年12月,「Science」に新規薬剤輸送蛋白Multidrug Resistance Protein(MRP)が隣国カナダから報告された。かの有名なP糖蛋白の発見以来,約20年ぶりの新規ABCトランスポーター(ATP-Binding Cassette transporter)の分離であった。この報告に世界は俊敏に反応しMRPブームを巻き起こし,発見者Susan P. C. Cole女史は一気にスターの座にのしあがった。世界中で次々にMRPファミリーが分離され,その基質特異性や機能について新発見が相次ぎ,MRP2がDubin-Johnson症候群の原因遺伝子であることも判った。私も帰国後の1993年秋からわずか2名でMRP研究に着手した。当然,呼吸器診療に専念してきた過去の経緯から,臨床応用を強く意識した研究となった。しかし,わが研究班で分子生物学的研究は初めてのこともあり,焦る気持ちを抑えながら実験器具の選定から着手しなければならなかった。これは寛大な恩師(原 耕平,名誉教授)の先行投資によるものだった。この誌面をかりて厚く御礼申し上げます。
 最初にアドリアマイシン耐性小細胞肺がん細胞から分離されたMRP1は,多剤耐性を担う薬剤輸送蛋白としてATPエネルギー依存性に,細胞内に流入した抗癌剤を細胞内から細胞外へ排出するポンプとしての役割を果たしている。生理的には,炎症に関与するグルタチオン抱合体のロイコトリエンC4を細胞外へ排出する。その後MRP2は,肺がん化学療法に欠かせないシスプラチンやCPT-11代謝活性体(SN-38)をも輸送することが明らかとなった。我々はMRP1が肺がん,胃がん,大腸がん組織,成人T細胞白血病で高発現し生体内で機能することを報告した。また,本邦で開発されたMS-209がP糖蛋白とMRP1の両阻害剤であることを最初に報告した。これらの研究を喘息と抗菌薬領域にも発展させ,ロイコトリエン受容体拮抗薬プランルカスト(オノン(r))がロイコトリエンC4の排出を阻害すること,オフロキサシン(タリビット(r))とエリスロマイシン(エリスロシン(r))もMRP1阻害剤になる可能性を見いだした。これら一連の研究は,国際学会で出会った海外研究者の協力によるところが大きく,とくにMRP1高発現小細胞肺癌肺がん株を供与していただいたメリーランド大学のL. Austin Doyle博士とDouglas D. Ross博士にはお世話になった(現在,後輩が留学中)。経済的負担が大きい国際学会ではあったが,出席する毎にお金には換えられない情報,物資,後輩の留学先,そして何よりも友ができたことに至福を感じて帰国した。
 研修医の時から「臨床と基礎の両立」を理想としてきた。基礎研究と同時に,忙しい肺がん臨床では画像診断会や気管支内視鏡検査に参加するのが習慣であった。いま新天地にきて,この経験が十二分に活かされていることに感謝している。1995年,理想をさらに追求するため肺がん治療の多施設共同臨床研究グループを立ち上げた。この間,次々に薬物動態解析を組み込んだ治療プロトコールが作成され臨床研究は順調に進んだ。2001年には本邦から唯一,米国臨床腫瘍学会(ASCO)Merit Awardを受賞した。その活動理念は,1)個々に対峙するがん患者さんと世界人類の幸福に貢献する,2)倫理的かつ科学的基盤をもった臨床研究の習得,教育,啓蒙,3)Good basic researchとGood clinical researchを実践し臨床と基礎の対話を推進することであった。この時まさに抗がん薬を介して,臨床と基礎の対話をしていたように思う。その後しばらくして教室の各研究班でも,我々に追随するかたちで多施設共同研究が開始され教室の模範となった。
 1998年10月,旧知の仲であったDoyle博士とRoss博士はアドリアマイシン+ベラパミル耐性乳がん細胞から遂に新規ABCトランスポーターを分離し,Breast Cancer Resistance Protein(BCRP)と命名しPNASに発表した。BCRPはヒトでは初めて,1つのATP結合部位を有するハーフトランスポーターであった。我々もBCRP高発現細胞の膜小胞を用いてBCRPがSN-38の輸送蛋白であることを生化学的に証明し,本邦から最初のBCRP関連論文となった。その後,BCRPが一部の肺がん組織に高く発現することを報告し,BCRPを回避する新規抗がん薬の開発へ研究を発展させた。その時期に偶然,産学共同研究の中にCPT誘導体開発のプロジェクトがあり,約30種類の誘導体の基質特性を検討した(2002年,特許公開)。その結果,極性の低いCPT化合物がBCRPを介した薬剤耐性を回避して抗がん活性を維持することを2004年に報告した。2002年,いよいよ癌化学療法は分子標的薬の時代にはいった頃,BCRPとゲフィチニブ(イレッサ(r))の関連について水面下で実験を進めていた。ゲフィチニブがBCRPの基質であることを生化学的に初めて証明したが,論文審査でずいぶん引き延ばされ悔しい思いをした(2005年,Cancer Research 2月15日号掲載)。2003年,この研究は米国癌学会(AACR)Scholar Awardを受賞したが,競争的研究者が一度は経験する苦い思い出となった(詳細は後日談とします)。
 1999年,ABCトランスポーターはその構造から7つのグループ(ABCA〜ABCG)に分類され新しい命名がなされた。P糖蛋白はABCB1,MRP1はABCC1,BCRPはABCG2,CFTR はABCC7と呼ばれ,最近は新旧が併記されている(例:BCRP/ABCG2)。CFTR は嚢胞性線維症の原因遺伝子として知られているが,他のABCトランスポーターも各種疾患の原因遺伝子として報告されるようになった。また多数の遺伝子多型の存在も確認され,薬物動態との関連も注目されている。現在,ヒトゲノム解析から約50個のABCトランスポーターが存在すると推測され,網羅的に検出するトランスポーターチップも開発されている。ABCトランスポーターは薬物の吸収と排泄に関わる必須蛋白として薬物の効果や副作用に影響し,また薬剤耐性関連蛋白として創薬には欠かせない膜蛋白である。一方,正常組織での生理的機能は未だ十分に解明されていないのが現状である。今後,ABCトランスポーターの臨床への関わりが詳細に検討され,実地医療に益することを期待する。