長崎大学第二内科年報 第15号
(2011年、特別企画)

「人生、たかだか100年」

川崎医科大学 呼吸器内科学
岡 三喜男


 この度、河野茂教授の教授就任15周年記念に際しお祝い申し上げます。原耕平名誉教授の後を受け、長崎大学医学部内科学第二教室の教授に就任されてもう15年が経つのかと、改めて「光陰矢のごとし」の感があります。この間、長崎医学と第二内科医学を継承し流布する、多数の指導者を全国の教育機関へ輩出しています。長崎医学の始祖であり西洋医学教育の父、ポンペ先生の遺志を確実に継承している姿勢に誇りを感じています。
 この15年間、私は前半を長崎大学第二内科、後半を現在の川崎医科大学で教員生活を送っています。長崎医学160年の歴史と創立40年を迎えた新設医科大学には、国家に貢献する教育機関の使命である人育と人材において格段の相違があります。医学は医学生のためでも父兄のためでもなく、ポンペ先生の遺訓、医学と医師は病める患者のためにあることを再認識させなければなりません。しかし人間教育という視点に立てば、やはり原点と基軸は家庭にあると痛感しています。
 ここ数年、折にふれ「ノーベル賞でもとらない限り長く後世に名を残すことはない」、「小欲=小銭欲は大事=信頼を失す」と教室員に諭しています。臨床医、教室員には、常に謙虚な姿勢で目前の臨床と崇高な医学に向き合って欲しいと願っています。患者に向き合えば、向き合うほど現代の臨床医学がいかに無力であるか、賢人であれば自ずと理解できるはずです。難病に遭遇すると無力感は甚大なものになり、この無力感は明日を拓く医学への挑戦の源になるはずです。明日を拓く若い教室員には、広く世界の病める人達のために貢献することを期待しています。同時に、そのような人材を育成するのが、われわれ教育者の天命でもあります。
 第一線を退いて十年も経てば、「ノーベル賞でもとらない限り長く後世に名を残すことはない」、狭い日本の中、医学の小分野で大活躍した人達もすぐに忘れられてしまう。一方、ひとつでもヒット曲をもつ歌手、名画を残した画家は数十年から数百年に渡って国民的な話題となる。われわれ凡人が残せるものは、生涯に刷り込まれる小さな医学教育と臨床の成果である。人の社会的評価はいかに多く人達に多幸多福をもたらしたかによってなされるように思う。自らを育んだ社会に対し、報いることこそが幸福への道となる。最近、我欲が日本を崩壊へ向かわせると断言する識者も多い。世相をみると、飽食世代は目標を失い野生化し、「小欲は大事を失す」を超える惨事が日常に聞かれるようになった。われわれの周囲でも小欲に負け、天命を捨て、信頼を失する場面を頻繁にみるようになった。若い医師達には、日々粛々と科せられた責務を確実に果たすことが、自らの価値を高め幸福への道であることを学んで欲しいと願っています。後述する「求めずして努力すれば、いつかは報われる」、歴史は繰り返し教えています。
 母校の先輩、ノーベル賞受賞者の下村脩博士の「クラゲに学ぶ─ノーベル賞への道」(長崎文献社)は、「求めずして努力すれば、いつかは報われる」を地でゆく感動ものでした。身近な郷土の風景描写に親近感を覚え、ノーベル賞受賞者に共通する「運命の出会い、発見、その努力」には、ただただ感涙するばかりでした。下村博士が発見されたGFPは、多く人達に多幸多福をもたらし、永遠にその功績は忘れられることはありません。母校の後輩には是非、一読してもらいたいと願っています。
 人生、たかだか100年。宇宙規模では、点にもならないほどです。われわれが残せるものは、生物としての子孫と社会へ貢献する教育です。今後も長崎の医学を伝え、広く多幸多福をもたらす医学と人育に日々努力したいと思っています。
 最後になりますが、長崎大学第二内科の益々の発展を祈念しています。