長崎大学医学部内科学第二講座開講 90周年記念誌
(平成25年3月、発刊)

「肺癌グループ 1990〜2004」

川崎医科大学 呼吸器内科学
岡 三喜男


 この度の長崎大学医学部内科学第二講座開講90周年記念に際し、心からお祝い申し上げます。開講90周年にあたって、教官時代の肺癌グループの様子を記すよう依頼されましたが、内容が自分史になることをお許し下さい。この伝統ある歴史の中、私は研修医1年、医員3年、教官(助手、講師、助教授)14年間(留学2年)、長いようで短い18年間を西日本随一の大世帯医局で過ごしました。
 1990年、当時の高知県立西南病院(高知県中村市;現、四万十市)に勤務していた時、原耕平名誉教授から肺癌グループのチーフ、神田哲郎先生の後任として大学へ戻るよう手紙を頂きました。そして1990年4月1日、現在の教員生活が始まりました。元来、肺癌グループは2〜3人の極小世帯が常で、相変わらず広瀬清人先生(長崎市で開業)と二人での船出でした。教官の責務は臨床、教育、研究ですが、市中病院から大学人へ突然の転身は大きな負担で、夜遅くまで回診とカンファランスのある月曜は慢性蕁麻疹に悩まされました。画像診断と各種内視鏡を得意とし、大学院での研究歴がない私にとって、最も苦痛だったのは研究でした。今でも広瀬先生には申し訳なく思っています。
 1991年、原名誉教授の「君は留学しなさい」との命で、自ら留学先を探し推薦状を書き北米4施設へ送りました。幸いThe Hospital for Sick Children (Dr. Helen Chan, Toronto, Canada)と米国国立癌研究所(Dr. Cowan KH, Medicine Branch, DCT, NCI, NIH)から快諾を得、NIHを選びました。ここから「自らの医学は世界の病める人のため」と大きく舵をきりました。
 1993年、帰国後に原名誉教授から200万円の研究資金を頂戴し、消化器班の朝長道生先生(嬉野市で開業)と癌の薬剤耐性機構の研究を開始しました。その後、消化器班と呼吸器班の大学院生と着実に成果を上げることができました。
 1995年、多施設共同臨床研究のため長崎胸部腫瘍研究グループ(NTOG, Nagasaki Thoracic Oncology Group)を結成しました。NTOGの活動理念は、
1.  個々に対峙するがん患者さんと世界人類の幸福に貢献する。
2.  倫理的かつ科学的基盤をもった臨床研究の習得、教育、啓蒙。
3.  Good basic researchとGood clinical researchを実践し、臨床と基礎の対話を推進する。
定期会合を月1回開き、多数の臨床試験を遂行し、新規肺癌治療法を世界へ発信し続けました。この時代、臨床研究と基礎研究の両輪が最も力強く回っていたようです。
 2004年4月、河野茂教授を初め同門会と長崎医学同窓会のご支援によって、現職の川崎医科大学呼吸器内科学教授へ転任しました。現在、長崎医学155年と第二内科医学90年の歴史と伝統を、岡山の地で継承しています。



2002年1月31日(日)17時 医局の生化学実験室に集合!!
(後列左から 中富、川畑、中村、塩澤、鶴谷;前列左から 岡、早田)