「古本屋さん」

岡 三喜男


 「この本は初版ですから大切にして下さい。」,初耳であった。初版はやや値が張るのか,いつも愛想のわるい古本屋のおやじさんが言った。本好きでもなかった私が,数年前から古本屋を訪ねるようになった。古本屋に入ると所によって少しカビくさい,その中に埋もれた新鮮な記述がなんとも言えない興奮である。本を読んでいると一節,ときに参考資料が書き添えられ無性にその資料がみたくなる。普段,医学論文の執筆では参考文献をよみ下準備,いまはいとも簡単に世界中の文献が部屋から手にはいる。まれに狡をして孫引きしてしまうこともある。反して,一般書や歴史ものではそうはいかない。一節の奥に秘められた物語があり,読み込まないと理解も面白味も分からないことがある。何事も奥が深いのである。
 過日,生まれて初めてかの有名な古本屋街,神田神保町をかけ足で訪ねた。およそ四十年前に出版された限定叢書で,全十五巻のうち一巻が(後で判ったこと)無性に欲しかった。書名を告げると即座に,店頭のオヤジさん達は出版社を云って在庫の返事をかえすのには驚いた,さすが日本一の古書街だ。やっと十数軒の店を回って目的の本にたどり着いたが,十五巻一括購入の三万五千円だった。装丁は青布張りでずいぶん黄ばんでいたが箱入り,一瞬,黄ばみは黄金にみえたが一考し店の連絡先を記して飛行機にのった。我が家に辿りつくと間もなくコンピューターで古書検索を始めた瞬間,三軒の古書店(神田,北九州)に在庫を発見,結局,三冊を各三千円前後ですべて買い占めてしまった。まさに無駄足を地でいった話である。その本は文化的に極めて貴重な学術資料として,黄金に値する内容であった(「歴史を越えて,いま」に記載)。
 読書と歴史は子供の頃から苦手,中学まで数学と地理が得意だった。高校に入ると国語(現代国語,古文,漢文)の時間が苦痛だったが,いま不思議なことに熟語や漢詩が鮮明に頭の片隅にのこり便利帳になっている。背伸びしたい大学教養時代は,いい格好ぶりして流行り物から名作まで無理やりつめ込んだが,ふり返ると全く実になっていない。その後,(言い訳がましいが)臨床医生活の中で長い空白をつくってしまい,今になって一般教養のなさを甚く悔やんでいる・・・なんとも情けない。その頃から俄知識のため週刊誌と月刊誌を速読,すでに週刊誌は捨て今も「文藝春秋」を愛読するはめになった。「読書は心の栄養」と言われるが,この齢になって反省すること頻りである。
 数年前,大阪から長崎へ来たとある会社の方が,「先生、この本おもしろいですよ」と参百頁ほどの新潮文庫をくれた。忙しさに感け一年ほど放置,何げなく読み込んだこの歴史小説が琴線に触れることになった。我々の医学の原点は・・・いつもの熱中癖が頭をもたげ,出張の度にこの作家の本を買い求め,ついに文庫本に飽きたらず「この本は初版ですから大切にして下さい。」へ連なった。歩き求めた史実を連ね,彼の見識を基に小説へと繋げる感性と資質,すらすらと読者の脳裡に刷り込まれる文体はどうして生まれたのか,新たな疑問が湧いてきた。その起源はどうも森鴎外,志賀直哉,川端康成らにあるようだ・・・これから追跡が始まる。
 古本屋さんには,我々の原点とそれから脈々と伝えられてきた生きる術が埋もれている。

平成二十年二月