2009年 呼吸器内科同門会誌・年報「巻頭言」(3月吉日発刊)
「現代大学の歴史と理念を振り返る」
岡 三喜男
この三月、新生呼吸器内科になってはや五年が経過します。幸い毎年、今年も二名の新入教室員を迎えることができました。この五年間、大学の基本的使命である人材育成へ僅かでも貢献できたことに安堵しています。組織の基本は人材であり、日々進化し社会貢献する大学にとって、人材は貴重な資源です。また昨年、恒例の教室主催年末ボーリング大会では、過去最大の八十有余名の参加者があり大盛会でした(教室近影)。この五年間の教室運営では、関係者の方々のご支援と教室員の日々絶え間ない努力に改めて深く感謝申し上げます。しかし、私が目指す臨床医学教室までやっと一合目を登ったところです(改新と現状)。今後、さらに継続的な改革と教育、その実践が必要です。
この一年、社会環境のグローバル化を日本人が、最も身近に再認識させられた年はなかったように思います。どのアナリストも予想すらできなかった、想像を越える激変でした。翻って、旧態依然とした社会構造の問題点も浮き彫りになりました。その結果、改革すべき課題も明確となり今後、政権交代を通じてただ実行あるのみです。とくに少子化は将来、日本社会の活力を確実に削ぎ、日本を崩壊への道へ誘導します。少子化こそ解決すべき日本の最重要課題です。
医学的話題に目を向けると、生物、ヒトとして安心して子供を産み、日々健康に働き暮らし、そして安らかに眠ってゆく、この自然界の基本的営みが悲しくも国家的に保証されなくなりました。日本の医薬品開発も瀕死の状況、分子標的薬や抗体医療の分野で出遅れ、後発品参入や海外企業買収など姑息的かつ短期的戦略に必死である。目先の類似薬開発と導入に目を奪われ、発想の転換と長期的展望が欠落した結果である。世界を見渡すと抗癌薬は約八百種が開発中、うち約二百品目が臨床治験に入っていると聞く。僅少の本邦開発品も海外での治験と逆輸入が定着し(空洞化の定着)、生命科学産業は将来の日本を救う基幹産業になる筈だった。私見では、この悲惨な状況は酵母研究から始まった分子生物学の歴史的基盤の欠落と国家的政策の脆弱性に起因している。しかし、社会環境の激変に関わらず、われわれ医療人の天命は「患者さんに手を当て、病苦から解放する」ことです。教室はこの五年を費やし今、人に優しい新規がん治療法の開発に全力で取り組んでいます。今年、まもなく患者さんへ提供できることを楽しみにしています。
最も明るい国民的な話題、とくに研究者にとって日本人四名(南部陽一郎、益川敏英、小林誠、下村脩博士)のノーベル賞受賞でした。このことによって我々は、日本人(日本の伝統と教育)の潜在的かつ卓越した才能と努力を再認識するとともに、夢を追う若手研究者は大いに勇気づけられた。その中に母校の先輩、下村脩博士が化学賞を受賞されたのは望外の喜びでした。昭和二十年八月九日原子爆弾によって廃墟と化した旧制長崎医科大学を想うと感慨深い。嘗てLuciferase assayやGreen fluorescent protein (GFP)を実験で使用された医師も多く、博士の絶え間ない努力の結晶に深く敬意を表します。下村博士は初めての地方国立大学出身のノーベル賞受賞者であり、片峰茂学長(前細菌学教授)は「文部科学省においても、会う人会う人からお祝いの言葉を頂戴しました」と長崎医学同窓会誌にその喜びを披露されていた。
さて此の数年、一般教養書は新聞各誌日曜版の新刊紹介と書評をみて即決購入している。幸い何れの書籍も大当たり、膨大な新刊書の中に宝石を発見しひとり密かに微笑んでいる。最近では、「ゲノムと聖書−科学者、神について考える」(Francis S. Collins;中村昇、中村佐知、訳)、「ヒトゲノムを解読した男」(J. Craig Venter;野中香方子、訳)、「フンボルト理念の終焉?−現代大学の新次元」(潮木守一)がとくに印象的であった。世紀のHuman Genome Projectで壮絶な戦いを演じた二人、その内容と人間像の対比は極めて興味深く、前者はベストセラーとなり名著に値する。一方、「フンボルト理念の終焉?」は赤面と苦笑の初体験読書であった。その理由は、1990年から二大学に奉職しているにも拘わらず、世界の現代大学の歴史、理念、発展、その変遷、小事では単位制度やゼミナールの由来などなど・・・無知であった。当然、日本の大学についても然り、まさに無知の知(ソクラテス)であった。この齢になって日々、自らの狭視野と浅教養には幾度となく呆れ、「もっと勉強しとけばよかった」の連発である。
この時期、Helicopter parentsとMonster studentsが飛来し目前の規定試験に翻弄される現場に居り、大学と大学教育のあり方を自問していた(改新と現状)。私見では人としての教育の原点は家庭にあり、大学はその集合体を「社会へ貢献する自立した人材として育成する」、当然、大学自身も独立と自由の中で自らの高い理想を総力として追求すべきで、理想は決して個人の達成目標ではない。その理想を基軸として、特色ある教育体制が末端まで整備される必要がある(他国や制度の模倣と画一化は論外)。以下に潮木守一著の「フンボルト理念の終焉?」(東信堂)を参考にして、現代大学の理念と果たすべき役割を考えてみた。
さて1810年に創設されたベルリン大学を源とする、世界の現代大学に多大な影響を与えた「フンボルト理念、フンボルト型大学」、日本では身近に研究室や実験室という各教室の呼称で根強く残っていると気づく。フンボルト理念は端的にいえば「研究を通じた教育」、大学人は一義的に研究者であり真理を探究し、自らの研究成果を教育で披瀝する考え方である。そしてフンボルトは「すべてを疑え」と言っている。フンボルト理念は極論ではあるが、後述の歴史的背景から考えると当然とも言える。寺子屋や小学校低学年の授業では教科書を書写復唱し、高等教育では教科書片手に教授の講義を速記していた。つまり復誦講義と筆記学問である。さらに試験では講義記録と一語一句間違えることなく解答することが求められ、帳合的試験と揶揄されたほどである(講義記録=帳簿と解答を照らし合わせ採点)。驚愕するのは、フンボルト理念導入前の二十世紀初頭まで、日米の有名大学でも復誦講義、筆記学問、帳合的試験が行われていた。その裏付けとして1909年、ドイツから東京帝国大学に招聘されたHeinrich Waentig教授の興味深い印象記を引用する、「日本の学生はドイツの学生と異なって、常に子供のような試験恐怖病の圧迫の下に置かれている・・・学生の頭の中にあるものは、どうしたら上手く学年末の試験をパスできるか、それだけである。およそ将来のことを考え、様々な勉強をすることは全くない・・・学生達はそれだけ頼れば済むような教科書を指定してくれと、しきりに要求した・・・試験答案に共通する特質は、できる限り自分の独立した判断を避けようとする傾向である・・・暗唱が通用しない試験問題を出すとなんら解答もできない」、ここに近代日本の硬直した官僚制度とその支配の原点を垣間みて、教育が国家基盤形成に計り知れない影響を及ぼすことを歴史的に考察することができる(私見)。翻ってみると、大学と大学人の国家的な役割は重要であることが理解され、その責任は極めて重大である。
私はフンボルト理念を「永遠なる真理探求とその探求心である」、その真理探究は決して学問的探求に限らず広く包括的なものと解釈している。学んだ知識や既成とした事実は日々の進歩によって変化し、ときに定義や概念すら変更される。現実の世界に戻ると臨床医学では、根拠のない無数の診療ガイドラインが作成され、後検証の間もないまま数年ごとに改訂される。劣悪なものは統計解析もできず、推奨レベルの記載すらない。ここに日本の大学教育における実践的フンボルト理念の欠落を指摘できる。しかし、フンボルト理念は優秀な学生が集う一部の大学に限られると云う批判的言説があり、日本では少子化による大学全入時代が一層の批判を浴びせかけている。現実、高度に進化し国際化した課題を探求しながら大学教育を遂行することは、限られた教育資源の中で困難になっていることも事実である。一方、学科によって理念は全く異なるとの単純批判は百も承知だが、大事を忘れ小事は議論できない。そこで全入時代の大学の存在意義をどのように位置づけ、専門学校化する惨状をどう回避するのか理想と現実の狭間議論が必要であり、このことは医学部も決して例外ではない。目前の試験を強く意識するあまり既成の事実のみを付与し、探求心と探求に必要な術を欠いた教育の意義はあるのだろうか?前述した大学の国家基盤形成への重責を考慮すれば、Helicopter parentsとMonster studentsに迎合することなく、少子化の中でも議論を尽くすべき時である。
最近、私は「本は見えない教師」と呼んでいる。今回、「フンボルト理念の終焉?」(東信堂)を通して、潮木守一氏に直接お会いすることなく現代大学の歴史と変遷の一面を学び、自らの大学観を考える絶好の機会を頂き深く感謝している。敢えて批判すれば、大学と社会との関わりの視点が欠けていた。今回の読書中、過去の教育体験を振り返り自然に苦笑する自分を明確に認識できた。学生諸君に伝えたい、学ぶ場と機会はどこにでも在り、フンボルト理念は自分の中に宿りいつ目を覚ませるかである。
ベルリン大学創立から二百年、フンボルト理念が世界の大学へ導入され未だ百年に満たない。我々は淘汰を繰り返す大局的歴史観の上に立ち、今後あるべき大学像を模索しなければならない。






