日本呼吸器内視鏡学会雑誌
「気管支学」43巻4号(2021年7月25日発刊)
巻頭言「すこーぷ」

川崎医科大学・免疫腫瘍学
岡 三喜男

「学び、教えて、また学ぶ」

 初めて気管支内視鏡を手にしたのは、約40年前、市中病院での研修医の時でした。その一年間で気管支内視鏡、胃内視鏡、腹腔鏡と鏡のつく医療機器を毎週、それぞれの指導医から学び始めました。まさに内視鏡道への入門です。暫くして、縦隔鏡を始めるので見学に行くよう命じられ、縦隔鏡も学びに行きました。当時、一番苦労したのは汎用型の太く硬い側視の胃内視鏡、挿入時の抵抗感の恐怖、胃内で迷子になり悪戦苦闘しました。努力の甲斐あって卒後10年間は、派遣先の病院で胃内視鏡と気管支内視鏡の両刀使い、さらに胃透視と注腸透視も学び、定期的に胃内視鏡と透視検査を担当しました。その後、大学へ戻り教える立場になり、「教育には寛容、忍耐、愛情」が重要だと認識しました。顧みて、根気よく内視鏡をご指導頂いた大医局の先輩達には、いまも感謝しています。
 当時の研修先には、池田茂人先生が世界で初めて開発された町田製作所の気管支内視鏡(Flexible bronchoscope)後継機種があり、丸いツマミを回して先端を屈曲させていました。既に操作性の良いオリンパス社製の気管支内視鏡が汎用されていましたが、池田先生に師事した大先輩(中野正心先生)は、観察に町田製を使っていました。肺門部肺がんでは定期的に町田製で観察し、詳細な所見を記載するのが常でした。内視鏡室には熟練の男性看護師が常駐し、座位で咽喉頭を噴霧麻酔して、気管支内視鏡の出し入れに外筒(挿管チューブ)を簡単に挿管していたのは驚愕でした。実は、この盲目的な挿管術は気管支造影検査に必須の技だったのです。我々の間では、池田茂人先生を「もじんさん」と愛称で呼ばせて頂き、先生が監修された「気管支樹模型」を参考に、花屋で花を束ねる針金と色テープを購入し、気管支樹を作成して分岐を学びました。後年、母校を離れる時、中野先生から「もじんさん」署名入りの編著「胸の写真と読み方」(新日本法規出版)を頂戴し、今も書棚に並んでいます(写真)。
 新任地の教壇では、専門領域外の講義や実習を担当しましたが、人口に膾炙される「教えることは学ぶこと」を実感しました。講義資料を集めスライドや配付資料を作成しますが、また学びの連続です。意図的に発見や発明の医学史、医学の未来、医学英語など、卒後に有益な講義をしたつもりでしたが、その成果を知る由もありません。
 新しい学びとして、約15年前に腫瘍免疫学へ入門し、日々興奮の連続です。免疫学は疾患横断的な学問で、がんの約15%は免疫で排除されない病原微生物による慢性炎症(感染症)から発生します。いま接種しているmRNAコロナワクチンは、長年のがんワクチン研究(Dr. Sahin)から生まれました。内視鏡学も革新的な技術によって、臓器横断的な学問として、さらに人工知能(AI)との融合も進んでいます。
 いま、内視鏡道から「学び、教えて、また学ぶ」を実践しています。