長崎大学医学部内科学第二講座 河野茂教授 退官記念誌
(2015年3月14日)

「我に医学の生を授けた母校に感謝」

川崎医科大学 呼吸器内科学
主任教授
岡 三喜男


 河野茂先生、ご退官おめでとうございます。ご健康に教授職の責務を果たされ、かつ150有余年の伝統を誇る臨床と教育を重んずる長崎医学を継承する教授陣を全国に輩出されました。現在、全国に30有余名の長崎大学医学部内科学第二講座を出自とする教授達が医学教育は当然、感染症、アレルギー、肺腫瘍の各分野において活躍しています。
 河野先生は、回顧すれば19年前の1996年、先代の原耕平名誉教授が種を蒔かれ、西日本随一の大樹に育て上げられた教室を引き継ぎ、今日まで、この大樹に満開の花を咲かせる大役を果たされました。この間、医学部長と病院長を歴任され、2014年10月1日、これら重責の成果を基に長崎大学理事および副学長に就任されました。最も印象的な事は、医学部長時代の2007年11月10日、長崎大学医学部創立百五十周年記念式典の開催でした。各界からの招請講演は勿論、日本医学史における母校の役割を拝聴し、一度は原爆によって廃墟と化した母校の復活に強い愛学心を抱きました。
 河野先生の教室運営は、人口に膾炙される「よく学び、よく遊ぶ」を基本にして、自ら先頭に立ち在任中にゴルフのシングル・プレーヤーとなられました。不器用な私にとっては、羨ましい限りです。学問は真菌感染症を中心に、感染症全般にわたって輝かしい業績を上げられました。
 河野先生と私は1993年、それぞれ講師と助手時代に時を同じくし、共に米国立衛生研究所(NIH)Clinical Center (Building 10)で先生は真菌感染症、私は癌の薬剤耐性の研究に従事しました。先生は13階、私は12階の研究室で奮闘していました。既に、先生は2度目の米国留学で流暢な英語で米国生活を満喫されていたようです。この写真は1993年7月30日、河野宅へ夕食に招待され玄関先での記念写真です。

この3年後、内科学第二講座の教授に就任され、私は講師に任命されました。結局、私は各々4年間の講師と助教授を経て長崎大学を離れました。
 私の新任地は大学創立35年、教室規模は長崎大学の20分の1、呼吸器感染症に特化した教室でした。数年間は蟄居し、毎日の外来診療から俯瞰し、一点の光を模索しました。未来医学を牽引する鍵は、「遺伝子」、「免疫」、「再生」、私の環境から「免疫」を選択し、10年前から癌免疫分野に参入しています。一方、長崎の地から始まった肺聴診学の復活をめざし、コンピュータ・サイエンスを駆使し現代版「肺聴診学」を著しました。幸い、多くの医療人に読まれ、その著作権料は全て「あしなが育英会」へ寄付しています。長崎大学で医学の生を受け、その医学を社会の人々に役立てることに至福を感じています。長崎大学医学部内科学第二講座の皆様に感謝し、名利に恬淡として、利他の心で社会貢献に邁進したいと決意しています。
 河野先生には、長崎大学、いや日本国、さらに世界人類のため貢献されることを期待しております。ひとまず、ごくろうさまでした。