研究
About Research
総合外科では、心臓血管外科、消化器外科、乳腺甲状腺外科、呼吸器外科の各分野で、臨床への成果還元を目指したトランスレーショナル研究を行ってきています。近年、ヒト癌切除組織からのオルガノイドの樹立に関する研究を行っており、今回特に肺癌オルガノイドについて紹介します。
これまでの癌研究において、細胞株、遺伝子改変モデルマウス、patient derived xenograft:PDXが疾患モデルとして使用されてきました。しかし、多くの細胞株は、腫瘍本来の性質を失っており、また遺伝子改変モデル動物は、癌組織の複雑さや不均一性を必ずしも反映しておらず、モデル動物による前臨床試験で著効を示した薬剤候補が臨床試験で脱落することが続いてきました。そして患者由来の腫瘍を免疫不全マウスへ移植するPDXは、作製に経費と時間がかかるとともに、モデル特異的な腫瘍が発生する可能性が指摘されています 1。
近年、3次元培養技術が進歩し、国内外において生検サンプルや切除臓器を活用したオルガノイド研究が進められてきています。オルガノイドは、解剖学的、機能的に生体内に存在する器官(オルガン)に近い特徴を示すことから、これまで困難であった生命現象の解析が可能となりました 2。癌分野においても、個々の患者の癌の特徴を反映したオルガノイドが樹立され 3-6、細胞株や遺伝子改変マウスに代わる新しい前臨床モデルとして、個別化医療や新規治療法の開発に用いられてきています。この中で我々は、肺癌患者由来のオルガノイドの樹立を行い、現在多数の肺癌オルガノイドの作製に成功しています 7。
2018年4月、米国シンシナティ小児医療センターの、Jeff A Whitsett教授の取り計らいにてマウス肺組織からのオルガノイド作製法を習得し、同年5月からマウス組織由来オルガノイドの樹立を総合医療センター研究ユニットにて開始しました(図1A-F)。ここでは主に中枢気道、末梢肺組織そして食道上皮由来オルガノイドの作製を行い、その長期培養と凍結保存ができることを確認しました。同年8月14日、当科からの研究計画「ヒト消化器癌、胸部悪性腫瘍オルガノイド培養系のゲノム医療への応用」が本学倫理審査委員会の承認を受け、11月よりヒト肺癌組織からオルガノイド作製を開始しました。3次元培養開始後8割を超える症例でspheroid形成が確認され、また継代培養も順調であったため、共同研究者らと樹立を半ば確信していたが、これが大きな誤算でした。EGFR変異陽性肺癌患者4名から樹立されたオルガノイドのゲノムに対し、サンガーシーケンス解析により変異を確認したところ、全症例でこれらのドライバー変異が不検出という結果となったのです。同様の結果が英国UCL癌センターより報告されており 8、正常肺組織由来オルガノイドが癌よりも早く増殖しそれに置き換わることが一因であることが分かりました。これより我々は、正常肺オルガノイドが殆どを占めていると考えられたオルガノイド凍結ストックを再培養し、正常細胞増殖を抑制するMDM2阻害剤: nutlin-3a 9を添加することで、一つ目の肺癌オルガノイド:PDT-LUAD#5の樹立に至ったのです。 以下、当院で作製された肺癌オルガノイドとその解析例について記します。
73歳男性、左下葉原発の早期肺癌患者に対し胸腔鏡下左下葉切除を施行し、術後病理からstage IA2、 invasive adenocarcinomaを診断されました。樹立されたオルガノイドの形態は、正常肺由来ものに比べて不整形かつ充実性でした(図2A)。オルガノイドの性質が元の患者の癌の特徴を持っているかは、研究上の重要な焦点となります。このオルガノイド:PDT-LUAD#5を重症免疫不全マウス(NOD/SCID mice)の皮下に接種したところ、腫瘍を形成し、その病理像は原発肺癌組織を反映していました(図2B)。術後肺癌組織からドライバー遺伝子は不検出でした。しかし樹立オルガノイドより抽出したゲノムに対する全エクソームシーケンス解析からTP53 T155P に加え、BRAF G469A をpathogenic変異として検出することができました。さらに、これらの変異は原発肺癌組織からもサンガー法にて同定されました(図2C, D)。このことから樹立されたPDT-LUAD#5は病理学的に、さらに変異遺伝子から患者の癌の特徴を受け継いでいると考えられました。
現在の肺癌診療ガイドライン(2020)において、BRAF V600E を有する臨床病期Ⅳ期の非小細胞肺癌に対してはBRAF阻害剤: ダブラフェニブとMEK阻害剤: トラメチニブの併用療法が推奨されています。BRAF V600E は BRAFキナーゼの活性化を引き起こし、下流シグナルである ERK の恒常的なリン酸化を起こすことで癌化をもたらすことが知られているが 、BRAFの他の変異には生物学的意義が不明なものもあり、これまでのところ肺癌における BRAF治療は、BRAF V600E に限定して行われています。今回検出されたBRAF G469A は、BRAF V600E とは異なる領域での変異であるが、キナーゼ活性を誘導することが知られており 10、2018年Kotaniらは、EGFR阻害剤:エルロチニブとMEK阻害剤:トラメチニブの併用がこの変異を持つ非小細胞肺癌に有効であることを報告しています 11。そこで、これら2剤併用後のPDT-LUAD#5のviabilityを解析したところ、単剤投与に比べて、有意にその増殖は抑制される結果となりました(図2E)。これにより、オルガノイドの樹立は未だ標準治療になっていない新規標的遺伝子に対する治療法の検証に有用であることが示されました。
次に65歳女性、肺門および縦隔リンパ節転移を伴うstage ⅢA進行肺腺癌より樹立したオルガノイド: PDT-LUAD#19を示します。本症例では、原発組織からのオルガノイドは作製されず、転移リンパ節からのみ樹立が可能でした(図3A)。オルガノイドの核型解析にて明らかな染色体数異常(2n=43)を認め、癌由来であると考えられました。術前肺癌生検組織からはドライバー遺伝子は不検出でした。そこでPDT-LUAD#19からの抽出ゲノムに対する全エクソームシーケンスを施行したが、やはりドライバー遺伝子の検出には至りませんでした。しかしRNA シーケンスを行った結果、融合癌遺伝子:TPM3-ROS1が検出され (図3B)、その発現は、RT-PCR法およびimmunoblot法にて確認されました(図3C-E)。
ROS1融合遺伝子は、非小細胞肺癌の1-2%に見られ 12、肺癌診療ガイドライン(2020)からⅣ期症例に対し、キナーゼ阻害剤よる治療が推奨されています。ALK阻害剤でもあるクリゾチニブ、さらにROS1に対する選択的チロシンキナーゼ阻害活性を持つエヌトレクチニブは、はいずれもPDT-LUAD#19に対し増殖抑制効果を示し、特に後者は、より低濃度での抗腫瘍効果を誘導しました(図3F )。一方でROS1融合遺伝子を持たない肺癌オルガノイド:PDT-LUAD#5においてはこの効果は見られませんでした。
TPM3-ROS1は肺癌におけるROS1融合遺伝子の中でも3%でしかない稀なドライバー遺伝子です 13。今回、PDT-LUAD#19を用いたnext generation sequence (NGS)により、当該遺伝子の同定に加え、新しい分子標的薬剤への感受性が確認され、再発時の有効な治療法を提示できることが示されました。
上述したように肺癌オルガノイドの作製には、正常肺オルガノイドの混入が問題となり、癌由来であるかを早期に確認することが必要になります。これには幾つかの方法があり、SNP arrayによるコピー数の変化の解析、NGSによるゲノム解析、重症免疫不全マウスへの接種後の腫瘍形成の確認などが挙げられます 14,15。これらの方法は、時間またはコストがかかるのに対し、我々はより簡便な方法として、動原体特異的反復配列であるαサテライトをプローブに用いたFISHを行い、癌オルガノイドに見られる染色体数の変化や構造異常の検出(図4A-D)をまず初めに行っています。肺癌でも比較的頻度の低い組織型である大細胞神経内分泌癌から樹立されたオルガノイド: PDT-LCNEC#62においては、それぞれ異なる染色体数を持つ癌細胞が観察され、腫瘍内不均一性があることが分かります(図4D)。またbreak apartプローブを使用すれば、融合遺伝子形成の際の染色体転座を確認することもできます(図4E)。
今回主に、手術により切除された肺癌組織、および転移リンパ節からのオルガノイド作製について記載しました。NGSにより見出された、個々の患者の持つactionable変異に対する治療の有効性を検証することが可能でした。当科ではこのほか、総合内科学4 瀧川奈義夫教授との共同研究により肺癌患者悪性胸水からのオルガノイドを樹立しています。今後樹立オルガノイドのライブラリ化を進めるとともに、内外の細胞バンクへの寄託を行う予定です。一方で肺癌オルガノイドの樹立率は決して高くなく 14、今後樹立条件、培養条件の改善に努めて行く必要があります。
A-E: Scale bar: 20 μm