本学のリハビリテーション医学教室は長い伝統をもち、多くの専門医を輩出してきました。川崎医科大学は川崎学園の一施設ですが、川崎学園は他に川崎医療福祉大学、川崎医療短期大学、川崎リハビリテーション学院(正式には九曜学園)の3つの教育機関をもち、附属病院と総合医療センターはあらゆる医療職の臨床実習の場ともなっています。附属病院には2002年より回復期リハビリテーション病棟が設置され、主要な臨床・研修の場となっていましたが、2022年4月からは特定機能病院リハビリテーション病棟と制度変更されました。制度が変わっても引き続き回復期リハビリテーションが必要な患者を主治医として担当することが可能なことは変わりなく、他の診療科の入院・外来患者のコンサルテーションや高次脳機能障害などの外来診療などを含め充実した研修が可能です。また教室内の研究のみならず学園内の他の教育機関との共同研究も盛んであり、リハビリテーション医学に関わる様々な分野での研究が行われています。また、中国四国リハビリテーション研究会や岡山県地域包括ケアシステム学会などを通じて地域への学術面での貢献も果たしてきました。
今後も引き続き、診療、教育、研究の各方面でリハビリテーション医学の発展に貢献していく所存です。何卒、ご指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
主任教授 花山耕三
No | 役職 | 氏名 | 出身大学 | 専門 |
1 | 教授 | 花山 耕三 | 慶應義塾大学 | 電気生理学、神経筋疾患のリハビリテーション |
2 | 准教授 | 平岡 崇 | 川崎医科大学 | 高次脳機能学、小児言語発達、嚥下動態研究、脳卒中リハビリテーション学 |
3 | 准教授 | 目谷 浩通 (川崎医科大学総合医療センター) |
川崎医科大学 | 電気生理学、嚥下動態研究、義肢装具学 |
4 | 講師 | 阿部 泰昌 | 川崎医科大学 | 嚥下動態研究、脳卒中リハビリテーション学、地域リハビリテーション |
5 | 講師 | 関 聰介 (川崎医科大学総合医療センター) |
川崎医科大学 | 義肢装具学、嚥下動態研究、脳卒中リハビリテーション学 |
6 | 講師 | 杉山 岳史 (川崎医科大学総合医療センター) |
川崎医科大学 | |
7 | 講師 | 山本 五弥子 | 川崎医科大学 | 嚥下動態研究、リハビリテーション一般 |
8 | 講師 | 新井 伸征 | 広島大学 | 脳卒中リハビリテーション学・嚥下動態研究 |
9 | 講師 | 安永 雅 | 川崎医科大学 | |
10 | 臨床助教 | 小田 智聡 | 宮崎大学 | |
11 | 臨床助教 | 佐藤 智史 (川崎医科大学総合医療センター) |
川崎医科大学 | |
12 | 臨床助教 | 酒巻 もえ | 川崎医科大学 | |
13 | 臨床助教 | 長谷川 智子 | 川崎医科大学 | |
14 | 臨床助教 | 松山 和寛 | 川崎医科大学 | |
15 | 特任研究員 | 横山 友徳 | ||
16 | 研究補助員 | 平野 都 |
故明石謙先生のもとでリハビリテーション医学を学んだ医師が発起人となり、同門会が結成されています。現在、同門会員は、現役教室員を含めて74名となっています。同門会長は、倉敷リハビリテーション病院の塚本芳久先生で、会員相互の連携を親睦を目的として活動しています。同門会総会は年一回岡山で開かれます。
川崎医科大学リハビリテーション科の黎明期について
川崎医科大学のリハビリテーション部門には二人の指導者がいました。ひとりは大阪大学整形外科の名誉教授であった故・水野祥太郎先生でした。水野先生はイギリスでリハビリテーションを学び、開学間もない川崎医大で学長として教育、臨床、研究の陣頭指揮を執るとともに、川崎リハビリテーション学院を開学し、セラピストの養成を始められました。私は水野先生の講義を直接受けることはなかったのですが、図書館にあったビデオテープに収録されていた古いモノクロの記録映画をみて、水野先生が昭和20年代に大阪でリハビリテーションの実践をされていたのを知りました。今でも古くない内容で、たいへん感銘を受けたので、このビデオは授業でも使いました。
水野先生の後継者となったのは、川崎医科大学リハビリテーション医学講座の初代教授、故・明石謙先生でした。川崎医科大学では昭和50年に、獨協医科大学と共に、全国初のリハビリテーション医学講座が開設され、リハビリテーション医の養成が始まっていました。明石先生は昭和30年代に米国に留学し、日本人で最初にリハビリテーション科専門医の資格を取得した人です。明石先生の師匠はニューヨーク大学のハワード・ラスク教授でした。ラスク教授は、第二次世界大戦により大勢の傷病者が出たことに対応して、連邦政府に働きかけ、その社会復帰の支援への受け皿として、米国ではじめてリハビリテーション専門施設であるラスク研究所を開設した人です。その功績により、敬愛を込めて、リハビリテーションの父と呼ばれています。
ニューヨークへの旅
そのような、恵まれた教育環境にいたものですから、昭和60年に川崎医大を卒業とともに、明石教授のリハビリテーション医学教室に入局しました。医師になって3年目、研修医を修了し、リハビリテーション科にフィックスしてすぐに、明石教授のお供で米国のリハビリテーション施設を視察する機会を得ました。ニューヨーク大学病院はマンハッタンの摩天楼が林立するダウンタウンにあります。ラスク研究所は、創設当時の建物がそのまま残っていました。明石教授が留学した当時は1ドル360円の時代で、国際電話さえもなく、海外への渡航も制限されていた時代でしたから、先人の苦労は今の私たちには想像もできません。明石教授が川崎医大で実践されていた、アンビュレーション・クリニック,ブレース・クリニック、筋電図診、多職種によるカンファレンス・病棟回診は、ラスク研究所で毎週行われていたイベントを受け継いだものでした。この旅で、明石先生がラスク教授の教えを忠実に伝えて下さったことを目の当たりにできました。
決意
それから30年余りが過ぎました。先人が伝えてくれたリハビリテーションを深めつつ、ずっとリハビリテーション一筋に歩んできました。大学の教室の方も、第二代教授、椿原彰夫先生、第三代教授、花山耕三先生へと引き継がれ、伝統を重ねると共に、近代的な医局運営のもとに発展を続けています。このたび同門会の会長に相成りましたが、川崎医科大学リハビリテーション医学教室の伝統を誇りにし、教室の新しい指導者と共に、同門会を盛り立てて参りたいと存じます。どうかよろしく、お願い申し上げます。
同門会員の出身大学(50音順)
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